提言に至る背景と経緯:

 現在,我が国の沿岸生態系は,様々な劣化が進行し危機的な状況に置かれている.しかも,今後,温暖化等の地球規模環境変動の影響が重なり,沿岸生態系の危機的状況が一層深刻になる可能性が高い.そのような沿岸生態系の劣化の進行を少しでも食い止めて行くには,沿岸生態系の状態を様々な負荷要因とともに継続的にモニタリングし,その変化傾向を把握することが最も重要で,それが具体的な保全・再生に向けての全てのアクションの基礎となる.しかし現実には,我が国における常時モニタリングを担ってきている地方自治体の関連機関が最近の人員・予算削減の影響を真っ先に受けて,最低限のモニタリングを維持することさえも難しくなってきている.

沿岸環境に関わるさまざまな学会の横断的連携組織である沿岸環境関連学会連絡協議会(以下「沿環連」)では,第15回ジョイントシンポジウム「沿岸環境モニタリング、その必要性、可能性、緊急性−関連学会からの提言に向けて」(2006年3月4日),および第17回ジョイントシンポジウム「沿岸環境モニタリングの継続性を支える制度・資金・人の現状と課題―今、“学”ができることは何か?」(2007年2月17日)を開催し,沿岸環境モニタリングをとりまくこのような深刻な状況に関する認識を共有するとともに,沿岸環境モニタリングの維持・拡充の重要性を“学”の立場から対外的にアピールするための議論を積み重ねてきた.以下に示す「提言」は,両シンポジウムにおいて基本文案を灘岡が提出し,会場での討論や引き続くメール上で寄せられた様々な意見等を反映させて,沿環連からの提言としてとしてとりまとめたものである.

2007年2月21日
沿環連代表 灘岡和夫東工大


“沿岸環境モニタリングの維持・拡充の必要性と今後のあり方”

― 沿岸環境関連学会連絡協議会からの提言 ―

1.沿岸生態系の危機的状況と沿岸環境モニタリングの必要性

 陸域と外洋域をつなぐ沿岸域は,大きな基礎生産性と高い生物多様性によって特徴付けられる重要な領域であるが,一方で,陸域・外洋域と接しているがゆえに,さまざまな環境ストレスを受けやすい構造を持っている.実際,沿岸生態系の基盤を担う干潟や藻場,サンゴ礁などの浅海生態系の劣化が,干潟での二枚貝資源の激減や,藻場の磯焼け,サンゴ白化に代表されるように,近年,かなり危機的なレベルにまで進行してきている.海の健全性が大きく損なわれてきているのである.しかも,今後より顕在化していくと予想される地球温暖化に代表される様々な地球規模環境変動の影響は,沿岸生態系にも確実に及んでいくものと考えられ,その兆候はすでに現れ始めている.このことは,上記の沿岸生態系の劣化が今後さらに加速していく可能性が高い,ということを意味している.これらの状況は,国連海洋法条約等にもうたわれている沿岸生態系の健全な維持に基づく沿岸生物資源の適切な管理という時代要請から見ても,由々しき事態であると言わざるを得ない.

 一方で,今後,世界的な水産資源への需要がさらに高まっていき,同時に水産資源の枯渇がより深刻な問題になっていくにつれて,わが国の沿岸域における持続的な生物生産の確保が国家戦略的なレベルでの重要課題になっていくものと考えられる.持続的な沿岸生物生産の確保のためには,沿岸資源生物に対する適切な保護・育成・漁業管理が必要なことはいうまでもないが,現実には,資源を育む生態系自体に上記のような様々な危機的な状況が進行しつつある.また,このことは,近年ますます顕著になりつつある,健全な沿岸環境に対する国民のニーズの高まりに対しても応えることができない状況が進行しつつあることも意味する.

このような沿岸生態系の劣化をくい止め,あるべき本来の生態系に再生していくには,十分な科学的な根拠に基づいた明確な沿岸生態系保全・再生のための基本ビジョン・戦略を早急に打ち立てていくとともに,それに基づく保全・再生のアクションを具体的に展開していく必要がある.

そのためには,沿岸生態系の実態を,過去からの変遷とともに出来るだけ正確に把握するとともに,沿岸生態系への様々なストレス要因を出来るだけ包括的・多面的に評価することが不可欠となる.そのベースとなるのが沿岸域の環境モニタリング,特に長年にわたって継続されてきている定期的環境モニタリングである.

その重要性が端的な形で示された出来事が数年前に起こった.2000-2001年の冬期に発生したノリの色落ち問題である.これはノリが海水中の栄養塩不足によって変色する現象で,直接的には赤潮現象,つまり,海水中の植物プランクトンの異常増殖現象に起因している.有明海で赤潮の発生規模や頻度が目立って増大したのが,1997年の諫早湾における干拓工事に伴う潮受け堤の締切り以降であったことから,ノリの色落ちの原因が諫早湾干拓事業にあるとして,その原因裁定申請が地元漁民を中心に公害等調整委員会(以下,公調委)に対して行われた.公調委では膨大な資料が収集され,数値シミュレーションによる解析等も行われたが,けっきょく最後に依拠せざるを得なかったのが,浅海定線調査データに代表される定期的環境モニタリングデータであったのである.理由は簡単である.ノリの色落ち問題が大きな社会問題化して以降,様々な調査がさかんに行われたが,諫早湾の締切りのかなり前から長期にわたって継続的に取得されている環境モニタリングデータは,浅海定線調査データに代表される定期的環境モニタリングデータしかなかったからである.

しかし,事態はまったく逆の方向に進んでいる.浅海定線調査や公共水域水質モニタリング等の定期的モニタリングは,都道府県レベルの担当機関によって担われてきているが,ここ数年来の組織改変の動きや,最近のいわゆる三位一体の改革の流れに伴って,予算・人員削減の影響を真っ先に受けて,きわめてきびしい状況にある. これでは,有明海のような環境問題がどこかで再び起きたときに対処のしようがなくなる.そして,諫早湾締切りのような大規模公共工事の影響評価にとどまらず,冒頭に述べたような,近年劣化の進行が深刻になっているわが国の沿岸生態系の実態や関連する様々なストレス要因の把握,という基本的な要請にも十分応えることが難しくなる.

 そもそも,生物多様性の高い豊かな沿岸生態系を安定的に維持しえるかどうかは,生物多様性に関する国家戦略の根幹に関わる課題であるうえ,先述した,国連海洋法条約等にもうたわれている沿岸生態系の健全な維持に基づく沿岸生物資源の適切な管理,という時代要請にも直結している.これらの要請に具体的に応えていく上で,環境モニタリングの果たす役割はきわめて大きい.特にこれまで長年にわたって継続されてきた定期的環境モニタリングについては,今後とも着実に実施していくと同時に,その内容を一層向上させていく努力を,重要な国家戦略の一つとして位置づけて行っていくべきである.そのためには,今後に向けてあるべき沿岸環境モニタリングの内容と体制を明確にし,定期的環境モニタリングを担っている地方自治体の担当機関を中心に,国の関連省庁,大学や独法等の研究機関,漁業者,市民・NPO等が,協働・連携することにより,沿岸環境モニタリングを拡充・展開していく必要がある.

 

2.今後にむけての重要課題

 定期的沿岸環境モニタリングを取り巻く厳しい現状を改善して行くには,今後に向けての明確なビジョンと具体的な戦略に基づいて行動していく必要がある.

以下に,重要課題を整理し,列挙する.

1)上記のように,沿岸生態系の保全がきわめて重要であるにもかかわらず危機的状況に置かれていること,そしてその危機的状況の進行が沿岸モニタリングによって明らかにされてきているものであることのアピール

2)沿岸生態系保全・再生のための基本ビジョン・戦略を明確にした上での,モニタリングのあるべき内容・位置づけ・体制の明示

3)沿岸環境・生態系の包括的・多面的・統合的モニタリングの重要性の認識とその具体的内容の提示

− 保全・再生に具体的に資するには,これまでの定期的モニタリングをたんに持続するだけでは不十分.沿岸環境・生態系のモニタリングのあり方を基本的に再検討し,より包括的・多面的・総合的なモニタリングの内容を具体化する必要がある.以下に例を示す.

・沿岸生態系の健全性診断だけでなく様々な負荷要因(陸域からの洪水時流入負荷など)を含めた包括的モニタリングの展開

・石油流出事故対策に代表される「危機管理」のための情報インフラとしての環境モニタリングの展開

・「環境−防災」統合型モニタリングなど,狭い意味での沿岸環境モニタリングにとどまらない多面的・統合的モニタリングの展開

4)将来予測におけるモニタリングとシミュレーションの統合の必要性(モニタリングデータがなければ,どんな高度な数値シミュレーションモデルによっても,信頼できる予測結果を与えることはできない)のアピール

5)最近活発になってきている市民・NPOによる沿岸生態系保全・再生の試みを具体化していく上でも,モニタリングデータが不可欠であることのアピール

6)地球環境モニタリングへの貢献の必要性のアピール

− 外洋とならんで沿岸域も地球環境システムの重要な構成要素であることを認識する必要がある.すなわち,沿岸域は,地球環境変動の影響を一方的に受けるだけではなく,自らも地球環境に何らかの影響を与える存在である.わが国は,これまで世界に誇るべき沿岸環境モニタリングの実績を積み上げてきており,貴重なデータを国際的にも提供してきている.わが国が今後,地球環境問題の解決に向けて一層の貢献をしていく上でも,沿岸環境モニタリングの維持・拡充が不可欠であることをアピールする必要がある.

7)定期的沿岸環境モニタリングの実施体制の危機的状況に対する様々な関連機関による認識の共有・情報交換と対外アピール

8)異なるモニタリング実施機関,実施主体間の連携体制の実現

9)モニタリングデータのディジタル情報化と統合管理運営システムの構築

10)    データ公開原則の徹底と公開ルールの確立,およびデータの有益性を示す利用実績の飛躍的促進.データ提供側と利用側の新たな協働・連携の展開

   ・具体的展開のための一つのアイデアとして,全国のモニタリング担当機関と大学・研究機関等の共同プロジェクトとして,各県の定期モニタリングデータのディジタル化・解析の全国展開による,統合的全国沿岸生態系・環境診断プロジェクトの具体化の検討.

11)    連続自動モニタリングシステムの導入やリモートセンシングの利用など,新たなモニタリング技術の積極導入・展開・開発

12)    沿岸環境モニタリングの拡充に向けての新たな法制度の実現

13)    これからのモニタリングを担う人材の育成

14)    政府関係機関等への積極的働きかけやマスコミ等を通じての対外アピール

15)    これらを具体化し展開するためのタスクフォース・チームの立ち上げ